2012年 クレマチスの会


第28回 クレマチスの会

 

 テーマ 『人間関係から見たグリーフケア』
 日 時 2012年2月11日(土)午後6時30分~8時30分
 講 師 船木 祝 氏(札幌医科大学)


 

〈講師プロフィール〉

1963年、東京都武蔵野市に生まれる。学習院大学で西洋哲学を専攻。大学院で単位取得後、哲学・医療倫理の研究のため、トリーア大学(ドイツ)へ留学する。哲学博士号を取得し、帰国後、早稲田大学、学習院大学などで非常勤講師を務め、終末期医療、生殖医療、グリーフケアなどのテーマについて研究を進める。現在、札幌医科大学専任講師。専門は哲学・倫理学。

 主な著書に、『判断力の問題圏』(共著・晃洋書房)、『戦争を総合人間学から考える』(共著・学文社)、主要論文に、「緩和医療における終末期の鎮静」(応用倫理学研究4号)、「終末期医療の決定における患者の推定的意志について」(臨床死生学12巻1号)、「ターミナルケアにおける意思決定のあり方」(人体科学18巻1号)、「グリーフケアについての哲学的考察――関係性の中での別れの営み――」(医学哲学と倫理8号)など

 

〈担当より〉

船木先生は、長年、グリーフの研究をなされてこられました。死別の悲しみにある時、多くの方が「人生全体を意義あるものとして捉える考え方」に救われた経験をお持ちです。死別を経験すると、「人間はすべて平等な存在であり、誰でも同じような苦悩に喘ぐ時がある」ことに気づかされます。そして、我々の理解の及ばない「神秘」の世界の存在に目を開かされます。自死遺族は、「大きな喪失体験を持たない、損傷に苦しんだことのない、一般の社会の成員との間に隔たり」を感じています。そして、自分が「社会から切り離されていく」感覚を持っています。しかし、社会から切り離されていくのは自死遺族自身のせいではなく、周りの人のせいでもなく、今の社会の性格が大きく影響することを船木先生は説かれます。東日本大震災の被災者の方への最も重要な支援になるに違いないグリーフケアについて、社会の有様の視点をもった最先端のグリーフ研究の到達点のお話をお聞きできると思います。





29回 クレマチスの会

 

テーマ『大事な人とのつらい死別悲嘆から

      ――再びどう立ち上がっていくか』

日 時 2012414日(土)午後6時30分~

講 師 藤井忠幸氏(グリーフケア・サポートプラザ副理事長)


 

〈講師プロフィール〉

約20年ほど前、ある日、妻と突然死にて別れる。その妻の最期の変り果てた亡骸が全身に焼き付き、その衝撃で一時的PTSDに苦しむ。その間、伝統的心理学各派のさまざまな心理療法や学習に78年近く通う。また遺族「分かち合いの会」にも参加。それらの体験から、遺族グループや自死遺族グループの活動に関わるようになった。現在、グリーフケア・サポートプラザ副理事長、生と死を考える会副理事長、自死遺族ケア団体全国ネット代表、内閣府自死遺族支援検討委員会委員、など また執筆には、現代のエスプリ『封印された死と自死遺族の社会的支援』(所収)『自殺と未遂、そして遺された人たち』(所収)、など 

 

〈講師より〉

ある日、突然、二度とこの世で会うことの出来なくなってしまったとても大事な人。その別れを思うとき、先の見えない深い闇の淵に、ふいに堕とされてしまった感じともなろう。とくに自死で別れた場合、世間の偏見や差別のまなざしが待ち受けている。そのため、苦しみ、悲しみを一層語り難くなってしまう。その深い闇の淵から、どう再び立ち上がり、明日へ向かって歩み始めることが出来るかの否か、ともに考えていければと思う。





第30回 クレマチスの会

 

テーマ『死をめぐる自己決定について』

日 時 2012年6月2日(土)午後6時30分~
  講 師 五十子敬子氏(尚美学園大学教授)

 

 

〈講師プロフィール〉

尚美学園大学総合政策学部・同大学院教授(博士法学)。国立成育医療研究センター ヒトES細胞研究倫理審査委員会委員および遺伝子治療研究審査委員会委員、徳洲会未来医療研究センター 生命倫理委員会委員および治験審査委員会委員、昭和大学ヒトゲノム遺伝子解析倫理委員会委員、財団法人昭和大学医学部振興財団評議員。著書に、『死をめぐる自己決定についてー比較法的視座からの考察』、批評社、1997年、新装増補改訂版は2008年。『文化の種々相』イウス出版、2007年。『医をめぐる自己決定―倫理・看護・医療・法律の視座―』イウス出版、2007年。『仰臥の医師近藤常次郎―終末期医療への提言』批評社、2010年。英文論文および近刊ジャーナルに、「Making Decisions on Behalf of Mentally Incapacitated Adults in Japan: Terminal PatientsHuman Rights and Guardianship for Adults」、Ed.by P. Lodrup & E. Modvar,Family Life and Human Rights』、GYLDENDAL2004.The Prevention of Spousal Violence and Protection of Victims in JapaninThe international Survey of Family Law』、2005.[Recognizing Legitimacy in the case of Baby X] inFamily Law Balancing Interests and Pursuing Priorities in Family Law,William s. Hein& Co. 2007. 「意思決定の自由」『憲法論叢』第17号、関西憲法研究会、201012月、pp.1-29.「自己決定について -精神障害と終末期医療-」『死の臨床―高齢精神障害者の生と死』、批評社、2011年、pp.108-126.

 

〈講師より〉

「延命処置を施された人がこれ以上生きていたくないと思うなら自らの生命を終結させる権利を持つのは正当である。」これは1982年に世界で初めて完全人工心臓手術を成功させたアメリカ・ユタ大学の教授ウイリアム・コルフの言った言葉である。当時の人工心臓は6フィートの2本の管の先に大きな圧縮機を必要とした。彼は患者が圧縮機に繋がれて生きていたくなくなった時にそのスイッチを切る鍵を患者に与えた。ここから次の点が浮かび上がってくる。

①延命治療とは何か。延命治療を装着する前にその人の本来の生は終結しているのか。②開始された生命維持装置を取り外すことができるか。延命治療を施された人は自ら生命を終結させる権利をもつのか。そしてその法的性格は何か。

③患者が判断能力を持たない時には、代理意思決定はどのようになされるか。

昨今、「良き死」についての話題を耳にする。このような問題について皆さまとご一緒に考えてみたいと思います。





第31回クレマチスの会

 

テーマ『東日本大震災とグリーフケア~教え子を亡くした悲しみと遺族ケア』

日 時 2012年10月13日(土)午後6時30分~
  講 師 大西奈保子(東都医療大学ヒューマンケア学部看護学科准教授)

 

〈講師プロフィール〉

東都医療大学ヒューマンケア学部看護学科准教授、看護師、専門は死生学、ターミナルケア。2006年東洋英和女学院大学大学院博士後期課程修了・博士(人間科学)。神奈川県、東京都内病院勤務を経て、2006年から2010年まで東北福祉大学健康科学部保健看護学科講師。2010年より現職。著書に『医をめぐる自己決定』(共著)イウス出版、2007、『死生学叢書 第2巻』(共著)聖学院大学出版会、2010年。近刊される『死生学叢書第4巻』にて今回の大震災の経験が掲載される予定。

 

〈講師より〉

2011年3月11日の東日本大震災の大津波で、私が仙台で看護教員として働いていた時の教え子が家族とともに犠牲になりました。私は、遺族である母親に教え子の学生時代のレポートを送ったことから文通が始まりました。遺されたレポートには、「ターミナルケアに携わるためには看護師の態度が大事、患者に寄り添えるようになりたい」と書かれていました。私が学生に伝えたかったことをレポートに書いてくれた彼女の死は、今まで私が臨床でターミナルケアを実践してきたこと、臨床の現場がよくなるように学生にターミナルケアを教えたこと、すべてを否定された気持ちにさせました。彼女は、あと10日もたてば、看護師として働けたのに看護師として働くことも叶わないどころか、最期、医療の恩恵さえ受けられずに亡くなりました。この事実をどう受け止めればいいのか苦しみました。

しかし、この苦しみから救ってくれたのは、遺族である母親とのかかわりでした。悲しみに向き合う中で、教え子が遺したレポートの内容は、私に対するメッセージなのだと気付きました。悲しみの中にある人、つまり遺族である母親の悲しみに寄り添うことができるのか、今、私の態度が試されているのだと思いました。そして、私が彼女に教えた「ターミナルケアに携わるには看護師の態度が重要」ということが、こうして私に戻ってきたのだと思いました。こうして、亡くなった教え子と遺族との心の対話を続ける努力をしてきた中で、いつの間にか自らの悲しみも緩和していきました。自らの悲しみに向き合いながら遺族とかかわってきた経験を語ることによって、グリーフケアのあり方を考えていきたいと思います。





第32回クレマチスの会 

テーマ『いのちを見つめて―悲しみの向こうにあるもの―


日 時 2012年12月8日(土)午後6時30分~
講 師 鈴木共子氏(いのちのミュージアム代表理事)


〈講師プロフィール〉

造形作家。環境破壊、ジェンダー等社会問題をテーマに立体作品を制作発表。同時に児童の絵画造形教室を主宰。2000年4月、早稲田大学入学直後の一人息子を飲酒、無免許、無車検、無保険の暴走車の犠牲となる。加害者の裁かれる刑のあまりの軽さに対して、「悪質ドラーバーへの量刑の見直し」を求めて、他の遺族たちと署名活動を展開。その結果、2001年12月「危険運転致死傷罪」が成立される。並行して、アートという手段を通して、理不尽に奪われた命の重み、大切さを伝えようと、交通事故、犯罪、いじめによる自殺等の犠牲者の等身大の人型と遺品の靴を展示する「生命(いのち)のメッセージ展」を企画。代表を務める。現在、全国を巡回開催中。また、2003年に早稲田大学に社会人として入学し、表現の幅を広げる。2007年卒業。2010年、命をテーマに発信する「いのちのミュージアム」を東京都日野市に立ち上げ、代表理事となる。展示用の各種造形物、絵画、詩作などを手がける。また、命の尊さ、家族の絆の大切さ、交通事故の撲滅を問いかける映画「0(ゼロ)からの風」のモデルとなっている。


〈担当より〉

鈴木共子さんのひととなりは田中好子さん最後の主演映画『0(ゼロ)からの風』によく描かれていると思います。『零くんへ お母さんは君を生きるよ、君の断ち切られた夢を お母さんが代わりに挑戦してやるよ。 だからお母さんを 見守っていてね。母の決意なのだ。』の言葉は多くの人のこころをうちました。雑誌「明日の友」で平山正実先生との対談で今の心境を話されています。『(夫の病死は)ある意味さわやかにその死を受け入れられたと思いますが、息子の時は駄目でした。いまだに受け入れられていません。』、『私は息子の死と対峙できなかったので、怒ることで気持ちを切り替えたのだと思います。当時、怒ることがあったから私は生きてこられた、それは自己保存の本能なのかもしれない、と感じています。』、『あの子がいなくなったらもう生きていけない。そう思ったのに、今、私は生きています。上がったり下がったりの落ち込みも、少しずつですが確実に減ってきました。こうした自分、仲間達の様子にも、人間には回復力、再生する力が絶対にあるんだと感じました。』

 亡くなった命を悼む思い、悲しみは同じだと思うのです。